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婆さまは何を期待したのか?修行僧はどうすれば良かったのか・・・(解答編) [法話]

前記事にコメントを入れて頂いた皆さん。
ありがとうございました。
あつく御礼申し上げます。

nice!を受け付けて無かったので、nice!だけ押して行く訳にもいかず・・・

画像もないので、その感想に逃げる訳にもいかず・・・

でも、コメントによってお互いを高め合うブログの醍醐味を感じて頂けたと思います。

それでは、まずは、私が修行僧だったら・・・

ここから入りたいと思います。


asamoya1.jpg

↑ 今朝の袋田の滝付近の山です。
朝霧が良い感じでした。



この公案の云わんとするところは最後にして、

まず、「袋田の住職」を「修行僧」におきかえてみたいと思います。

ケース1 ( 修行僧が小心者だった場合)


給仕の若い娘が、なぜか、今日は、せまってきた・・・

袋田の住職(きっとこれには裏があると思い・・・)「どうしましたか?娘さん」 と、(一応探りを入れてみる)

娘「あなたが好きです!」

袋田の住職(そうか、やっぱりこの子は私のことが好きだったのか!と鼻の下を伸ばす住職)
しかし、ここで、飛びついては軽く見られるので、ここは、我慢し、一応断りを入れた方が無難かなぁ~)と思い、
「私は、修行の身!お気持ちだけでけっこうです。。。」

娘「それでは、さようなら~~~」

袋田の住職「あれ、行っちゃった!」

結局、袋田の住職は庵を追い出されてしまう。。。

かの立派な修行僧と、態度と結果は同じだが、心の内面を探ると天と地との開きがある袋田の住職でした。



asamoya2.jpg

↑ ウルシやケヤキが良い色になってきました。


ケース2 (修行僧が実は引きこもりだったと仮定した場合)

次に、修行者が引きこもりだったと仮定した場合を考察してみます。


お婆さん

「長年面倒をみてきた修行僧がどうやら引きこもりになってしまったようだ。」
「私もこの先長くないので、何とか、自活の道を探らせねばならぬ。」
「そうだ、娘と一緒にさせれば自活できるようになるかもしれない!」

と考え、娘を修行僧のもとに行かせる老婆・・・
修行僧に追い返された娘いわく

「だめだわ!あれは、使い物にならないわ!」
「ここにいたのでは、いつまでも引きこもりが続くから追い出してしまいましょう!」

お婆さん「帰ってきてまた引こもってしまっても困るので、庵も燃しちゃうか!」

(もしかすると、ひきこもりの話だったのかもしれません。実は引きこもりの人が
 僧侶として再出発する例が増えています。)


お婆さんが何を考えて修行僧の面倒をみていたのか、なぜ、追い出すことになったのか・・・

みなさんから、興味深いコメントがありました。

いろいろな仮定のもとに、この話を広げるとさらに面白い考察が生まれるかもしれません。



(ここで、一応の結論です。)

さて、この話は、大乗仏教の本質を問う公案です。

この修行僧は、厳しい修行によって自己を高められたかもしれません。

しかし、大乗仏教は、衆生済度が目標です。

衆生であるところの娘さんを拒絶しては、その目的を果たせないのです。

asamoya3.JPG

↑ メスのモズがすぐ近くで鳴いていました。


法事の導師を勤めてくれた御老僧は、こうしょうに、学校の勉強が出来たって、
人の気持ちがわからないようでは、良い僧侶になれない!
世の中のことをよく学んで、立派な僧侶になれよ!
と、声をかけてくれました。

自分の修行のことばかり考え、目の前にいる一人の女性のことを救うどころか、
血の通った温かい人間なのに、優しい言葉もかけられなかった修行僧・・・

今の世の中、自分のことばかり考え、他人の痛みがわからない人が増えているような感じがします・・・
僧侶にも・・・


前記事はコメントを常時受け付けてますので、面白い話を思いついたらどんどん書き込んでください。

ケース3は、ありませんでしたが、これは、皆さんに自分でそのほかのケースを想像して頂こうという趣旨です。

修行僧も老婆も、女の子もみんなが納得し、幸せになれる物語ができたら良いですね♪
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yakko

こんばんは。
私はケース1を支持します。
ケース 2 の「修行者が引きこもりだったと仮定した場合」というのは
思いつきませんでした・・・やはり私は単純な人間なんですね(-。-;)
by yakko (2009-10-11 22:18) 

マリンかもめ

自分の立場ではなく、相手の事を考えた答え方を出せる人間になれ・・・という教えなんでしょうかね。

結論を知る前に、いろいろな事を想像できて(コメントを書いた後もあれこれ考えてました^^;)頭の体操にもなります(^・^)
by マリンかもめ (2009-10-11 23:30) 

伊万里

引きこもりの修行僧は考え付きませんでしたが、老婆にしてみれば残される娘の事が心配で、それならば僧侶様にと思ったのはちょっと考えました。
でも、相手が修行僧ならね。
そういった答えが返ってくるのは解る気がしますが。
頭でっかちでなく相手の心を汲む柔軟な人間になりなさいという教えなのですね。
でも、それでは僧侶はどうすればよかったの?
僧侶は娘の誘惑に乗るべきだったの?
僧侶失格ではないの?
自分の修行を全部無にしてまでも、老婆の思いを酌まないといけないの?
この場合だとやはり義従うべきなのでしょうけど・・・
うーーーん。
難しい。
by 伊万里 (2009-10-11 23:40) 

ぱぐぱぐ

こんばんわ。
解答が気になっておりましたが。

「衆生であるところの娘さんを拒絶しては、その目的を果たせない」というのは、驚きでした。
修行僧として、それでよいのかと思ってしまいます。

人を救うということと、修行を極めるということは同義と思いますが、娘さんを拒絶するという結果が人を救うこととならないとは意外でした。

私は老婆の思いを下心があるものと勝手に思い込んでいましたし、娘さんのことを全く無視しておりました。

それは、自分のことばかりを考えているということの証左なのだということですね。
by ぱぐぱぐ (2009-10-12 00:22) 

kaisersd

難しいですけど、色々考えるのはおもしろいです。
前記事に、私なりの解釈をさせてもらいました。
by kaisersd (2009-10-12 00:31) 

ぽとす

ひきこもりかー(^^)自分の内側にしか目が向かなくなってしまったわけですね、なるほどー。もし自分が自分にこうされたらどう感じるだろうか、という想像力が必要なんだと思います。感じ方は何通りもあるでしょうから、思いつく限り想像して、それから行動する、失敗したって次の想像力のための大事な糧になるし。・・・思っていてもなかなか難しいのが現実なんですけども(笑)
by ぽとす (2009-10-12 01:04) 

テレマーカー

あぁ、小乗と大乗・・・。
やはり視点を最大遠点(いわゆる大所高所ってやつ)に持って行かないといけないという事ですな・・・。
もし、「老婆をここに呼んできなさい」と言って話が始まれば、また違った展開があったかもね・・・っと。
by テレマーカー (2009-10-12 05:29) 

うしさん

うーん
据え膳食わぬは男の恥

年齢相応に特に男は燃えねばと思いますね
by うしさん (2009-10-12 05:54) 

manamana

自分の修行の事だけ考え、
他は修行の邪魔、悪しきことと考え、
いろいろな誘惑や欲望を持つ人間を救えなかったのを戒める・・・
ということでしょうか。
by manamana (2009-10-12 05:57) 

Krause

とても勉強になりました。こういう話、大好きです。
by Krause (2009-10-12 06:01) 

いわもっち

生臭い感覚も必要ですね。。。
ま、人間ですしね。。
それを超越すると、真の悟り?
あれ、また矛盾しちゃうか。。 (^^;
by いわもっち (2009-10-12 07:57) 

doudesyo

おはようございます。
禅問答のようですね。
人間も動物も自然もみなに感謝すればおのずと答え方も出てくるような気がします。^^;
by doudesyo (2009-10-12 10:00) 

fuzzy

昨日、自分なりの解釈をコメントし、回答を待っていました。
回答を読んで・・煩悩を捨て切れず、男のサガが簡単に出てしまう様では人を善き道に導くことは、やはり出来ないでしょう、誘いを断るのは当然です。ただ、相手への思いやりが欠けていたのは、僧侶として修行が足りないのも事実です。
老婆の行動は修行の成果を試す行為で悪気は無いのですが、その後の行動は
感情の赴くままでいけません、修行が足りないと思ったら自らが修行僧を逆に導くべきですね。伊達に年を取ったわけでは無いでしょうから、先に生まれれば「先生」なのです。私は修行僧ではないので誘惑に簡単に負けますね、人生明るく楽しくです。
by fuzzy (2009-10-12 12:22) 

お茶屋

勉強になりました!
色々考えること、おもしろいですね。
by お茶屋 (2009-10-12 12:37) 

SilverMac

衆生済度と戒律の関係はどうなるのでしょうか。思いやりを持って断れ、と言うことでしょうか。
by SilverMac (2009-10-12 12:54) 

あおい君と佐藤君と宗男議員

おお!
そうなんですか。
これはありがたいお話を聞きました。
修行と言っても、自分のことばかり考えてはだめなのですね。
誘惑にはあっさり受け入れることも大切。……
いや、これはちょっと違うかな?(笑)
by あおい君と佐藤君と宗男議員 (2009-10-12 14:58) 

tanaka-ma3

なるほど...
by tanaka-ma3 (2009-10-12 16:27) 

kazoo

難しいです。
by kazoo (2009-10-12 17:19) 

ノリパ

なるほど大乗仏教の本質なんですね。よくわかりませんが。
utilitarianismのような・・・ 最大多数の最大幸福。個人の求道と、果たして
合い交わるポイントがあるんでしょうか。解はあるのか。
それとも、平行線で決して交わらないから、パーシャルに考えるべきか・・・
煩悩だらけで、考えれば考えるほど深みにハマっていきます。
おそるべき、禅問答。それがし好きですね。
by ノリパ (2009-10-12 20:00) 

弁慶

結構難しいですね。

by 弁慶 (2009-10-12 20:17) 

テリー

修行中といえども、他人を思いやらないといけないということですね。
これができないですね。ちょっとしたことで、人間関係が壊れて、一旦壊れるとなかなか修復できないのが現実ですね。
by テリー (2009-10-12 22:34) 

計

うん~ あの修行僧は中国の僧侶だったら、娘とあんなことするわけにはいかないですね。中国の僧侶は女性に恋をすることは許されないですから。
by 計 (2009-10-13 01:00) 

がま親分

慈悲なき正直は薄情なり・・・というような言葉を聞いたことがありますが、そういうことでしょうか・・・??
慈悲=愛をもって接しなさい・・・??
戒律でがんじがらめになって、人間本来の姿を忘れてしまっては本末転倒ということでしょうね。
しかし、この時代、僧侶に妻帯が許されるわけもなく、どうしたってその少女は不幸せになるような気がちょっとしますが・・・。
by がま親分 (2009-10-13 01:11) 

moonrabbit

人の気持ち以前に、我が子を手にかける親が増えているのは
絶対に間違った世の中ですよね。(--;
by moonrabbit (2009-10-13 03:12) 

ひろし

住職様の禅問答、感動致しました。この時代にあえて問いかけ!!、一気に昔の我に還ることができました。極端に言えば人の生殺与奪に係わる業務を続けてきた身として、たえず自問自答の連続でした。有り難うございました。
by ひろし (2009-10-13 10:33) 

旅爺さん

・・・・と そんなことから今の奥様と幸せの道を歩くことになったのですね。
by 旅爺さん (2009-10-13 10:52) 

袋田の住職

みなさん、コメントありがとうございました。

ここでは、ケース2までを書きましたが、ケース3も4もあるわけで、
皆さんでいろいろなストーリーを考えて頂ければと思います。

さて、過去記事にも禅問答をあつかった記事がありますので
よかったらご覧ください。

http://ryutaiin.blog.so-net.ne.jp/2007-01-18
(↑ここから三記事が続きものになっています。)

yakko さん 私のような小心者を支持していただいてありがとうございます。
ケース2ですが、実は、最近あいついで、引きこもりの人が修行に行った話を聞いたもので・・・

マリンかもめ さんなら、いろいろ面白いストーリーを生み出せそうですね。

伊万里 さん 信義に生きるか実利をとるか、人生において難しい判断を迫られる時がありますね。

ぱぐぱぐ さん 修行者としては立派な態度ですが、それ以上でもないということでしょうか?
老婆はそろそろその上を求めていたのでしょうね・・・
by 袋田の住職 (2009-10-13 12:37) 

袋田の住職

kaisersd さん この修行僧は、婆子庵をでて、どこぞやの修行道場へ行けばそれなりの立場の修行僧になれたと思います。

ぽとす さん 相手の立場を考えていろいろシュミレーションできそうですね。

テレマーカー さん そうですね、鍵を握る女、老婆をなんとかせねばならなかったのですね。

うしさん そうやってみなさん人生を切り開いていくのでしょうね・・・

manamana さん これはまじめすぎる修行者への教訓話かと思います。

Krause さん よかったら上記の過去記事の禅問答もお読みください。

いわもっち さん 人生は奥が深いです。

doudesyo さん いよいよ磐梯山に登ってきました。
裏と表があって面白い山だとあらためて感じました。

fuzzy さん 老婆の態度については、上気リンクの過去記事のように、
道元禅師も、教えてあげることが大事だと申されてますね。
庵を燃してしまうのは、ちょっと理解できません。

お茶屋 さん 皆さんのおかげで面白くなりました。

SilverMac さん 戒律を守ることと衆生済度の兼ね合いですね。
もちろん破戒はいけませんが、しばられ過ぎても先に進めませんし・・・

あおい君と佐藤君と宗男議員 さん 堅物過ぎるのも考えものですが、
やわらかすぎるのも困りものです。

tanaka-ma3 さん 他にもいろいろな切り口があるかとは思いますが・・・

kazoo さん 答えは一つとは限りませんのでそれが難しいです。

ノリパ さん 法話のカテゴリーの過去記事にも禅問答がありますので・・・

弁慶 さん 考えれば考えるほど難しくなりますね。。。

テリー さん 20年の関係がこのことで崩れてしまったのですね・・・
老婆の気持ちはいまだにわかりませんが・・・

計 さん そうですね、戒律を守らなかったら還俗させられるでしょうね・・・

がま親分 なにかハッピーエンドになるお話はできませんかね?

moonrabbit さん つらいことだと考えず、楽しくできればいいのですが。。。
子育ても・・・

ひろし さん 人生を積み重ねてきて初めて見えるものがありますね。
老婆は修行僧に足りない部分をかんじたのでしょうか?

旅爺さん なかなかすんなりと結びつかないのが男女の間です・・・
by 袋田の住職 (2009-10-13 12:58) 

カレニアン

おお、なかなかイイセンいったよな気がします。

やはり人相手の商売しているせいかな?

何事もまず相手の気持ちに立つことが
基本中の基本ですね。


by カレニアン (2009-10-13 22:36) 

春分

問題を読む前に答えをみてしまいました。残念。
「この後、坊様は還俗し、婆さまの家で3人で暮らしましたとさ」でハッピーエンドですね。
by 春分 (2009-10-13 22:44) 

袋田の住職

カレニアン さん お見事でした!

春分さん うちの世代さんでも、恋に落ちて還俗された方がいます。
今、その方の子孫が檀家総代をしています。
還俗すれば、その当時もOKでしたから・・・
by 袋田の住職 (2009-10-14 22:42) 

sayudom

私には難しいお話しだったので前記事にコメント出来ず、すみません。

よくよく読めば、女の子がかわいそうに思えますね。
修行僧目線で読んだので、誘いに乗らなかったのに????
でした。
老婆の思いは良く分からないですが、頼まれて誘って断られて散々。
中学生の罰ゲームみたい?
好きでもないのに告って嫌な事言われて…。

でも、人を試すのはよくないよな~とも思ったり…。

一番勝手なのは老婆なのかもしれないですね。
by sayudom (2009-10-15 02:46) 

袋田の住職

sayudom さん 修行僧も、自分よりずっと若い女の子の本意がわからないようでは、衆生済度はできないとうことでしょうか?
でも、時代はだいぶ違いますけど、16歳ですからね・・・
微妙な年頃です・・・
by 袋田の住職 (2009-10-15 06:20) 

村松恒平

婆子焼庵を検索していて来ました。
読んでいてムズムズしたので、古い記事にコメント失礼します。


この公案の本意は「抱くか、抱かないか」にはないのです。
そこにひっかかってはいけません。

「枯れた木が寒い岩に立つように私の心は熱くなりません。」

と心が木石のようになったところに老婆は落胆したのです。


老婆は生活に余裕があるのです。
16の娘は、当時としては立派な女です。

修行僧を芸術家として考えればわかりやすいのです。

財産のある女性が才能を見込んである若い画家のパトロンになってあげた。
アルバイトや世間の俗事に惑わされずに、画業一筋に打ち込める環境を整えて20年も養った。
その結果、画家は世間的に見れば立派な絵を描くようになって慢心していたが、老婆の目から見れば俗物に過ぎなかった。

なぜならば、悟りは、心を木石にすることではないからです。
心は常に揺れている。
動かないのは不自然であり、目標ではないのです。

絵でも、技術はどんどん身についていって、素人目は感心させられても、心や魂が動いていないものは偽物なのです。

僧を甘やかし、環境を整えてやったことが間違いであり、どんなに才能ある者を連れてきたも同じことが起きると理解して、老婆は庵を焼いたのです。



by 村松恒平 (2011-02-17 09:23) 

袋田の住職

村松恒平 さん コメントありがとうございます。
心や魂が動いていないものは偽物!
とのコメントに共感いたします。
禅僧たちは、きっと熱い心で修行し、布教し、人々を導いたのだと思います。
心を木石にしたのでは、衆生済度はできないと思いますので・・・


by 袋田の住職 (2011-02-17 15:03) 

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