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極楽浄土へ行けますか?と聞かれたら・・・ [法話]

お彼岸が近づいてきました。
そこで、法話を・・・

よいことをすれば、極楽浄土へ
悪いことをすれば、地獄へ・・・
こんな話を聞いたことがあると思います。

でも、極楽浄土のことを説くことは難しいです。
もし、「極楽浄土へ行けますか?」とか「極楽浄土はどんなところですか?」
と聞かれても、私はうまく答えることができません・・・。
だって、行ったことがないのですから・・・

行ったこともないのに、見てきたわけでもないのに
想像で言って、もし、突っ込まれたら答える術がありません。

実は、お釈迦様も、道元禅師も死後の世界を説いていません。
死んでからのことは死んでから考えればよいという立場です。

説いているのは涅槃ということです。

道元禅師は彼岸についてもそう考えてます。
「修行をして彼岸に到ると思ってはいけない。
彼岸に修行があるのだから、修行するところが彼岸到である」
というような意味あいのことを「正法眼蔵」仏教の巻きで述べられてます。

修行を彼岸の世界へたどり着くための術としてはいけないのです。
今、ここにあって正しい修行をすればこの岸、すなわち此岸も彼岸になるという訳です。

地獄も、極楽もこの世の中にあるような気がします。
それは、日々の暮らし方での心の持ち方で決まると思います。
良い心を保ちたいものです。

「上記の文章は曹洞宗の立場であり、神や阿弥陀如来を信じることにより
極楽浄土や天国の存在を信じるとことを否定するものではありません。」

彼岸中は山寺日記はお休みします。
コメントへの返事は随時しますし、
記事のアップもするかもしれませんが、旅爺さんのお言葉に甘えて
本業に差し障りが出ない程度になるかと思います。


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荷物をおろしてみるのも [法話]

前記事はあれで完結した!と思った方も多いでしょうが、
こうちゃんの回答で面白い展開になってきたのでもう少しお付きあい下さい。
今日の登場人物は、餅売り婆さんと徳山こうちゃんです。

餅売り婆さん「金剛経に過去心不可得、現在心不可得、未来心不可得とあるが、
和尚はいずれ心に点ずるか?!」
徳山こうちゃん「難しいなぁ?v^^:」
婆さん、餅を三つ突きだして曰く「さあ、過去現在未来いずれ?!」
徳山こうちゃん背負った荷物を下ろして曰く
「過去現在未来いずれにもあらず!我が腹中に点ずなり!」
婆さん「見事なり!和尚二つ買うべし!一つは婆のおまけじゃ」

徳山こうちゃんは金剛経の解釈書を背中から下ろす事により活路を見い出し、
お餅を鱈腹食べられたそうな・・・

というお話です。
とらわれない心「空」を説く金剛経、それにとらわれていた徳山宣鑑に対し、
荷物を下ろして自由な発想を得た徳山こうちゃん、貴方なら・・・

画像は研修で来ている市原刑務所です。
中には携帯やカメラを持ち込めないので外観のみの紹介です!
皆さん交通安全を心掛けて下さい。
交通事故は被害者やその家族だけでなく加害者もそしてその家族も不幸にします。
重荷を背負って生きるのは辛いですから・・・

1月16日の記事から四話連続で関連しています。
よかったら順番に読んでみて下さい。

http://blog.so-net.ne.jp/ryutaiin/2007-01-16


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金剛般若波羅蜜経 [法話]

前記事にありました「過去心不可得。現在心不可得。未来心不可得。」
という言葉は、「金剛般若波羅蜜経」に出てくる言葉です。

「金剛般若波羅蜜経」の原典は、インドの古代言語サンスクリット語で書かれてあり、
A.D.150~200年の間に成立したといわれてます。
これが、チベットや中国、東トルキスタン、ギルギットに伝えられた訳です。

羅什三蔵や玄奘三蔵が中国へ持ち帰り、漢字に訳したのが日本へも伝わりました。

般若経典は「空(くう)」の思想について述べられているお経です。

「過去心不可得。現在心不可得。未来心不可得。」というのは
羅什訳では一体同観分第十八の最後の所に出てきます。
心は、過去・現在・未来のいずれにもその実体がない、捉えどころがない・・・
すなわち「空」であるということです。

この「過去心不可得。現在心不可得。未来心不可得。」という言葉は
中国禅宗において新たな展開をみせます。

徳山宣鑑と老婆の問答

徳山宣鑑は金剛般若経をきわめた事から自ら「周金剛王」と称す学僧であった。
ある時、餅売りの老婆に出会い、「わしに餅を売ってくれぬか?」
と言った。
すると、老婆は
「和尚は餅を買うてどうなさる。」
「餅を買うて点心にしたい。」
「和尚は荷物をたくさん持っているがそれは何ですか?」
「これは金剛経の注釈書じゃ。わしは金剛経のことなら何でも知ってる学者なのじゃ!」
「それなら、ひとつ聞きたいことがある。金剛経の中に、過去心不可得。現在心不可得。
未来心不可得。と出てくるが、和尚はいずれの心に点じようとなさるのか?
答えられなければ売りませんぞ」

徳山は答えに窮し、老婆は袖を払って立ち去ったという。

皆さんだったらどう答えますか?
べつに、問題というわけではありませんが、感想や、自分だったらこうするということを
コメントに入れて下さい。

次回の記事で、道元禅師が展開するこの禅問答への解題を進めてまいりたいと思います。

実は、連れ合いが、昨日から二泊三日で東京芝の宗務庁で
寺族通信教育のスクーリングを受けています。
朝から晩まで缶詰状態でお勉強です。
今頃は、田上太秀教授の講義を受けている頃。。。
二時間半の講義は眠くなるかも?
田上先生からは、駒澤大学在学中、金剛般若経についての講義を受けたことがありました。

万歩計の方ですが、昨日は6000歩あまり、けっこう歩いたつもりだったのですが・・・
次の川崎宿はあと4.5kmです。


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今、ここに生きる・・・ [法話]

昨日15日は小正月、ご年始のお客さんがけっこう来まして、
その接待などで一日を過しました・・・

今回の法話は、画像つきで参ります。

久慈川のカルガモたち

1/11 pm 0:01 1/1000 f 4 300mm

「過去心不可得 現在心不可得、未来心不可得」
という禅の言葉があります。
心を捉えようとしても、過去はもう過ぎ去り、未来はまだやってこない・・・、
そして、現在という時間も、今と思った時はもう過ぎ去っていて捉えられない。

というものです。

久慈川の寒ザコ漁

1/13 am10:16 1/800 f 4 300mm

人間、反省は必要です。しかし、過ぎ去ったことを、くよくよしてもはじまりません。
どうなるかわからない未来のことを心配ばかりしていてもしょうがありません。

そこで、今、この時を精一杯生きることが「禅」の教えなのです。

鳥は、その瞬間、瞬間を精一杯生きています。
精一杯努力していなければ生き続けることはできません。

久慈川上空を飛ぶサギ

1/13 am10:16 1/5000 f 4 300mm

小鳥がミミズを捕らえた時、水鳥が魚をくわえた時、
ミミズや魚はそのは命を失います・・・

捕獲に成功した小鳥や水鳥もさらに強い動物に命を奪われるかもしれません。

那珂市瓜連の白鳥

1/13 pm 0:40 1/4000 f 4 300mm

野生に生きる動物は常に命の危険にさらされ生きています。
そこには、精一杯の生き様がみられます。

人間は安全というものを手に入れたその代償として、生きる力を失ってきたのでしょうか?

昨日、衛星放送をみていたら、出生率は2.1でやっと人口を維持できる。
現在の日本のように出生率が1.3になったら、350年後に日本人はいなくなる!
という、話がありました。

暁天に細く輝く月

1/16 am 6:07 2/1 f 4.5 70mm

今、ここに生きる!
人間は鳥や魚たちから学ぶこともたくさんありますね・・・

昨日、皇居でおこなわれた歌会始に特派師範の先輩でもある
秋田の山中律雄先生が入選されTVに登場されました。
2万数千通の応募の中から10首に選ばれたのですから快挙です。
山中先生からは年賀状で知らせていただいたので
歌会始というものをTVでじっくり拝見いたしました・・・

私の初めての特派巡回が秋田だったので
その時、山中先生には、大変お世話になりました。
素晴らしい短歌を多く世に出している歌人でもありますが、
暖かく親切でそして熱心な方です。
歌は、その暖かい心から生み出されるのでしょう・・・

年賀状は切手シートが11枚当選しました。
ひそかに一等、二等を狙っていたのですが・・・
たくさん当ったので満足します。

万歩計は、昨日なぜかリセットされてしまい、また、日本橋から再出発です。

うちでは、小正月が終ると松飾や鏡餅を片付けるしきたりなので、
夕方、正月飾りをはずしました・・・。


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あなたは何歳ですか? [法話]

昨日(5日)は、午前中下津原地区を、
午後はこうしょうをお供に駅前地区を歩きました。
万歩計は11562歩、昨日も一万歩を越えました。
今日は、雨で檀家年始廻りはお休み、
御年始客の相手をしながら身体を休めました。

さて、質問です!皆さん、おいくつになられました?

と、聞かれて、すぐに出てこない自分が寂しかったりしますが、
2007から生まれた年を引けば、今年の誕生日を迎えた後の満年齢がすぐ算出できます。
西暦でピント来ない人は、平成生まれは19から引き、
昭和生まれは82から生まれた昭和〇年を引きます。
大正生まれは96から大正〇年を引きます。

これは満年齢ですが、日本人は伝統的に数え年で自分の年齢を表してました。
便宜上、満年齢に一をたして数え〇歳と言い表したりしますが、
これは正しい数え年ではありません。

正式な歳の数え方は生まれた時を一歳とします。
これは、母親の胎内にあるときも命はあり、
一年近く胎内にいるので生まれた時を一歳とするそうです。

さらに、お正月が来ると誰もが歳を数えました。
毎年、お正月に一つずつ歳を数えるので数え年というのです。

今は、満年齢で表す事が多いですが、引き算で求められる満年齢でなく、
毎年毎年人生を積み重ねて数えていく数え年を使ってみませんか?

さばをよんだり、数え忘れたり、繰り下げたり、自分の都合に合わせて数えるのも
よいかもしれません・・・。

大本山永平寺貫首宮崎禅師は1901年生まれ、お正月を迎え107歳を数えました。
107歳を迎えられても毎朝の坐禅を欠かさない禅師さまです。

季節外れの大雨もようやく上がったようです。
明日は月例坐禅会です。


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徒然草「能をつかんとする人」 [法話]

皆様、明けましておめでとうございます。
さて、お正月恒例の法話です。

吉田兼好が著した「徒然草」の第百五十段に次のような言葉があります。

 能をつかんとする人、「よくせざらんほどは、なまじひに人に知られじ。うちうちよく習ひ得て、さし出でたらんこそ、いと心にくからめ」と常に言ふめれど、かく言ふ人、一芸も習ひ得ることなし。

 さて、その意味ですが、芸を習う人が人前での失敗を恐れて、誰にも知られないように練習し、うまく出来るようになってから発表しよう!などと考えているとしたら、けっして芸を得ることが無い。ということです。
 兼好法師のこの言葉は、我々に勇気を与えてくれます。人は、とかく人前での失敗を恐れて、舞台に立つことをしり込みしてしまいます。しかし、失敗を恐れて成長はないのです。失敗は成功のもと!という言葉もあります。何事も最初からうまく出来るはずはありません。人前で恥をかいて、冷や汗を流して、それを積み重ねて上達するのが芸の道です。

 道元禅師は「正法眼蔵」説心説性の巻で「いまの一当はむかしの百不当の力なり、百不当の一老なり」と述べられています。人は、名人が的を見事に射るのを見ると、その一当を褒め称えるだろう。しかし、本当に尊いのは、命中した一当でなく、そのために流された汗、すなわち百不当こそ尊い。と述べられています。

 禅の修行も芸の道も同じ事です。失敗はするものなのです。それを恐れて前へ行くことをためらっていたのでは何事も成せません。能をつかんとする人は、兼好法師の言葉を、そして、道元禅師の言葉を糧に、前へ進んで行こうではありませんか!何も心配することはありません!だって、何事も、はじめからはうまくはいかないのですから。

「龍泰院だより」第50号より転載
 http://www5.ocn.ne.jp/~ryutaiin/houwa18.htm
↑さらに法話を読みたい方は、月々の法話のページへ
手縫いの絡子を着けた住職の写真もあります。


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10月の法話より・・・ [法話]

 今週は、茨城県での特派講習があり、大阪の吉川先生、青森の工藤先生をお迎えしています。
週の後半は私が壱岐に巡回に行きます。記事は現地からのアップしますが、コメントや訪問は滞るかと思います。
ということで、10月の法話です。長いですが、よかったお読みください。 

 7月31日~9月29日まで放送された昼の連続ドラマ「がきんちょ~リターン・キッズ」!大子町を舞台にしたドラマということで見はじめたのですが、今までの昼ドラとは違い、私たちに家族や地域のつながりの大切さを教えてくれる、そして、頑張ることの大切さ、生きていくことの大切さ、現代人が忘れかけていた何かを思い起こさせてくれるドラマでした。

 最初は、生意気でズケズケものを言う子役達、友達を言葉で傷つけたり、いじめたり、わがままを言って親を困らせたり・・・。でも、子どもって本来そんなもので、この脚本家は子どもの姿をよく見ているな~!と感じました。そうした子どもたちが、友達や親とのかかわりの中で成長していく姿、親も子育ての中で学んでいく姿、それは感動ものでした。主役の辺見えみりさん、それに特別出演の有森也実さん、それから、いしのようこさん、菊池麻衣子さん、戦隊ものマジレンジャーから成長した姿を見せてくれた甲斐麻美さん、他、姜暢雄さん、藤村俊二さん、さらには、子役の美山加恋さんや鈴木理子さんも素晴らしい演技を見せてくれました。

  このドラマの舞台となった大子町を訪れてみたいという人も多いようです。大子町では現在、県や地元の人と協力して実際に交流事業を進めています。先日もその会議に出席してきました。現在、都会に住んでいる人も、先祖代々、都会で暮らしていた人は少ないと思います。一代前、二代前には田舎で暮らしたのではないでしょうか?田舎暮らしに憧れを抱くのは、当たり前の心情だと思います。
  
  仕事に疲れたとき、人間関係に悩んだとき、自然豊かな田舎で過ごし、懐かしい人に出会ったとき、人間は、また、力を得て頑張れるのではないでしょうか?そんなことも教えてくれたドラマでした。皆さんもちょっと人生に行き詰まりを感じた時、ドラマ「がきんちょ」の舞台になった大子町を訪れてみませんか?
  「忘れていた何かが見つかるはず。!」


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タイムマシーンに乗って過去に戻ってみても・・・ [法話]

「お盆の季節となりました。久々に写真無しの法話です。
今年のお盆は読経の後でこんな話をしています。
参列者に子供がいるときは、アニメのキャラクターにも登場していただきます。」

日本で、仏教の行事としてすっかり定着したお盆ですが、
もともとは、インドでお釈迦さまの時代にウランバナーとよばれ、
お釈迦さまの勧めで、弟子の一人が亡母の供養の為を
7月15日に行ったのが始まりと言われています。
それが盂蘭盆会(うらぼんえ)として中国に伝わり、
日本では、お盆と呼ばれ季節の行事として行われるようになりました。

さて、お盆にはご先祖様をお盆棚(精霊棚)に迎え、一緒に過ごします。
多くのご先祖様を迎えるとき、自分の命のつながりを感じるのではないかと思います。
自分は、自分というたった一人の存在です。
自分以外のどこを探してもいない唯ひとつのものです。

その自分が生まれるた!ということはどういうことでしょう?

TVアニメの「ドラえもん」では、のび太くんやジャイアン、スネ夫たちが
タイムマシンに乗って過去へ行ったりします。
私も過去に戻ってやり直せたら・・・などと考えることもありますが、
過去に戻っても、してはいけないことがあります。
それは、歴史を変えてはいけないということです。
のび太くんがドラえもんの力を借りて、「過去」を変えてしまったら
歴史が変わってしまい、戻るべき「現在」が消えうせてしまうからです。

もし、皆さんが過去に戻って、自分のご先祖様の生き方を変えてしまったらどうなるでしょう?
たとえば、曾おじいさんと曾おばあさんが結ばれるのを邪魔してしまったら
その瞬間に自分が生まれる縁を切ってしまうことになります。

自分が過去に戻ってそうしなくても、何らかの理由で二人が結ばれなかったら
そこで、自分につながる命のつながりが途絶えてしまいます。
それは、四代前、五代前、あるいは十代前のご先祖様にも同じように言えるわけで
そう考えると、自分という存在は本当に不思議な縁の積み重ねの上にある存在だと
ご理解いただけるのではないでしょうか!
そして、その不思議な縁はずっとずっと遥か大昔からつながっているのです。

お盆の季節、ご先祖様を盆棚にまつったり、
あるいは祀ってある場所をお参りして、
自分につながる不思議な命のつながりと
自分という「命」の存在の有り難さを感じていただきたいと思います。

↓テレマーカーさんのブログに詳しい盂蘭盆会の説明がありました。
http://blog.so-net.ne.jp/telemark-skiyer_fly-fischer/2006-07-24


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祖母のおもい・・・ [法話]

今日2月18日は私の誕生日です♪
大人になるとあまり特別な事もしませんが、
命を受け継ぎ、そして今日まで生かされてきたことを確認し、
感謝して一日を送ります。
本堂で法事があったり、車で一時間ほどの斎場に出向き檀家さんの葬儀を勤めてきたりと
あわただしい一日でした。

私の誕生日の前日、2月17日は、家では特別な日です。
そのわけは・・・

私の父には、すぐ上に兄がいたのですが、
8歳の時に交通事故で亡くなってしまいました。
昭和5年の2月17日のことです。
家の前の道路に飛び出して轢かれてしまったのです。
車などめったに通らない時代におきた不幸な出来事でした。

突然長男を失った祖母の悲しみは深く、
そのせいで、すっかりやつれ、白髪も増えてしまったそうです。
私の記憶にある祖母は、真白な髪の上品なおばあさんという印象です。
実際の年齢よりも年をとって見えたのはそういう理由だったからでしょう。

小さい頃私は、いつもコタツに入っている祖母に見守られていました。
偶然2月18日に生まれてきた私を、
祖母は死んだわが子の生まれ変わりと信じていたようです。
私が生まれた時の喜びはとても大きかったそうです。

私が小学校に入学する直前の昭和41年の2月27日に66歳で亡くなった祖母ですが、
今でも、どこかで私達を見守ってくれているような気がします。

もし、伯父が健在なら、私の父も、私もお寺をついでいなかったでしょう。
そう思うと、人生って本当に不思議です。

今年は、私の長男が入学する年です。
昨日の朝、お仏壇へ息子と一緒にお線香をあげて、その話をしました。


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遺言書いてありますか? [法話]

今日から二月、このブログも一周忌いや一周年です。
「今日から15日まで「涅槃図」を客殿で公開しています。

また、ホームページでは月々の法話を更新しました。
以下、月々の法話からの転載です・・・。」

「皆さんは、遺言を書いてありますか?」
「まだ、遺言など早いと思っている方、
縁起でもないないと思っている方、
いや、私はちゃんと書いてあります!
という方など、様々でしょう。」

 禅僧は、一年の始まりに遺偈(心境を綴った短い漢詩)・遺言・遺嘱などをしたためます。
いつ死んだとしても、後の人に迷惑を掛けないようにという配慮と、禅僧としての心意気を示すものです。
親の葬儀の時に兄弟仲が悪くなったり、親戚ともめたりということも増えてきています。49日忌や一周忌を別に行ったりする事例も見られるようです。
財産分与や法律的なことは他のホームページに譲り、
ここでは、「こんな遺言いかがですか?」という提案をさせて頂きます。

 SO-NETブログのしょーえんさんのところの記事

 http://blog.so-net.ne.jp/syoen/2005-12-11

  に 「永代遺言」というのがありました。
          
  「 お参りありがとう 大丈夫 生きていれば 何とかなる  先祖 」
   
  ご先祖様から子孫へのメッセージを墓石に刻んで残している例です。

しょーえんさんは筑波山の近くのお寺の若い住職さんで税理士もしています。

  これを見て私も、遺言って、遺産の分与に関するものだけではないんだなと思いました。
私も、今年は、遺言に項目を追加し書き直しました。 それは、家族へのお礼の言葉と子ども達へ仲良く元気に暮らしなさいという教えです。財産の分与だけでなく、子孫に伝えたいことを遺言の形で残して置くのは大切なことだと思いました。

  「皆さんもあらためて遺言を書いてみませんか。お世話になっている人への感謝の言葉を添えて・・・」


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